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帯広別院とは

堂宇建立の歩み

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 帯広別院の堂宇は明治三十一年説教所として創設せられたるもので、その後、函館別院帯広支院と公称の時、及び彰如上人御巡教の折に本堂再建を企図したが、そのつど僅少の増築と修繕とに止まっていた。大正十一年頃の本堂は壁落ち棟傾き廉雑極まる建造物であり、捨て置きしがたき事情に迫られ輪番はじめ有志の者の苦慮するところであった。
 
 明治二十八年四月に開庁した北海道修治監分監には教誨師として五峰賢道師が着任し教誨に携わったのを始め、以後当監の教誨師にはあいついで大谷派の僧侶が採用された。全国的にも浄土真宗の僧侶が、囚人の教誨にあたる例は多く、十勝監獄と別院とは密接な関係にあった。
 
 このような関係から、十勝監獄の教誨堂建築の時、旧教誨堂の売払いを受けてこれを改築することになり、費用は比較的少額にして多年の本堂建築の念願がかなえられたのである。
 
 現存する本堂は、その後の改修により若干の変容はあるものの、ほぼ十勝監獄時代の様子を保っている。現在本堂の後堂に使用されている床板は、厚さ一寸以上、幅一尺五・六寸、七間半に及ぶタモと材である。当時の囚人たちによって挽き割られたものであり、カンナが十分に使えず手斧で仕上げたと思われる波形が今も鮮やかに残っている。これは十勝監獄当時の用材が現存し、確認できる稀有の実例といえる。


※一寸は3.03cm 一尺は30.3cm 一間は181.8cm


梵鐘鋳造

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 明治四十五年(一九一二年)七月二日、競馬場(現在の教育会館)に大がかりの設備をこしらえ、鋳物師、山河国岡崎十王の太田周次郎と貞周とにより梵鐘が鋳造された。

 十勝管内各地から数百人の同行が集まり、念仏の声がこだましたと伝えられている。その中で人々は、カンザシや指輪、銀貨銅貨を大釜に投げ込み報恩の行をしたという。出来上がった梵鐘は大八車につまれ、紅白の引き綱を付けて西一条南十一丁目の支院まで運んだという。この梵鐘の音色は素晴らしいもので帯広の町のすみずみまですんだ響きを伝えていたが、昭和十八年の金属仏具供出で姿を消したのは残念である。

 しかし、同時に鋳造された喚鐘は供出をまぬがれて、今日も勤行の合図に使用されており、当別院の最古の什物となっている。

 ちなみに、現在境内にある鐘楼堂の梵鐘は昭和二十三年五月、多くの発起人、寄進者の方々により京都三和合金鋳造所にて製造されたものである。


「別院」とは

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真宗大谷派には全国、海外あわせて55の別院があります。別院が「聞法の道場」であるという点では、普通寺院と同様でありますが、しかし、殊に別院が設置された理由は、地方における教化活動の中心的役割をになう点にあります。

 したがって、そうした目的をもって設置された別院を護持ということは、まず自らが念仏の教えを聞きひらき、その教えを伝えていく願いに生きることを意味するのです。。

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information店舗情報

真宗大谷派帯広別院

〒080-0803
北海道帯広市東3条南7丁目7番地
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